冷がけそば、がなぜ全国区にならないのか
週末日曜は家族そろっての休日。
蕎麦が食べたいなーと思い、先日買い物ついでに見つけた手打ち蕎麦屋さんに行ってみました。
なんとも上品な平打ち麺で。
おいしゅうございましたよ。
私的にはもうちょい噛みごたえある感じの方が好みですが。
あと麺つゆももうちょいしょっぱいやつ。
(意外に注文多いw)
というのも、私の生まれ故郷である羽後町西馬音内(うごまちにしもない、と読みます)には、永遠のナンバーワンの味があるわけでして。
それがコチラ。
子どものころから慣れ親しんだ味で、当たり前のように食べてましたが。
大学進学で東京に上京した時、蕎麦屋さんに「冷がけ」がないのが本当にショックだったのです。
冷がけ、とは「冷たいかけそば」のこと。
これが一年中当たり前に食べられます。
だから蕎麦を食べる、といえば、冷がけしか知りませんでした。
なんか、ざるそばとか食べるの、異常に緊張したりね。
まぁ、帰省したら必ず彌助そばには寄って、なめこおろしそばを食べます。
どんなに食欲がなくても冷がけだと食べられちゃう気がするから不思議。
故郷を離れてからも、蕎麦屋に入るたびに冷がけそばがないかを探す自分がいます。
最近は夏だと置いてあるところが増えてきたかもしれませんね。
でも彌助そばは抜群においしいです。
みなさまも秋田の羽後町西馬音内にお立ち寄りの際はぜひに!
(ってなかなか行かないエリアだろうな。。。)
この映画をおもしろいと思いたくない自分
なんと昨日はおひとりさまナイト!
夫出張、ムスメ林間学校だったからなのですが、自宅でひとり、夜を過ごすのは本当に珍しいことで。
こんな神様がくれた時間(おおげさ)をどうしようかなーとさんざん悩んだのですが
映画を観に行くことにしました。しかもハシゴ!レイトショー!!
こんな時、歩いて行ける場所に映画館があるのはありがたや。
それに水曜日でレディースデイじゃん。ひゃっほー☆
今日は1本目に観たこの映画の感想を。
(以下、鑑賞直後にメモした内容)
なんていうのか、特別おもしろいわけではないのに最後まで見ちゃった感じ。
というか、
これをおもしろいと思いたくない自分がいる。
出てくる登場人物すべてのおかしみ、かなしみがじわじわとしみわたるような。
だから男は、とか
だから女は、とか
だから子どもは、とか
だから年配の人は、とかではなく。
おもしろいと思いたくない理由のひとつは、
親のようになりたくないと思いながら生きてきたはずなのに、
気がつくととても似ている、という描写にある。
私もまったく同じ過程を歩んでいる気がするから。
たとえば、
実家の母は自分の立場が気まずくなると、すぐだまってしまうクセがあるのだけど、
そして自分は絶対あんな風な行動は取らないと心に決めていたのに
気がつくと夫の前にそうしている自分がいる、とか。
観ている間、自分のイヤな部分をつきつけられていたな。
あと家族だと何してもいい、みたいな
(日本特有の?)前提が主人公の実家に流れていたこと。
あれ、客観的に見ると本当に許せないんだけど
ああいうことする人っているよね、たぶん、大勢。
家族だから...って枕詞がきっとキライだ、私は。
とにかく、池松壮亮と高橋和也は日本映画を支えすぎなんではないだろうか。
あと、樹木さんのあったかさ、というか、かわいげ、というか、ドライな感じが大好きだ。
(以上、原文ママ)
昨日の鑑賞後は、ぜんぜんスカッとした感じにならなくて、モヤモヤして、イライラして、この訳分かんなさを持て余してたんだけど、次の映画までの時間、お茶をしながら感想をメモしてたら少しずつ落ち着いてきました。
私は、家族や親せきなどの血縁や、田舎独特のしがらみがイヤで実家を飛び出した人間なので、かつ現在も最低限しか実家とは連絡を取り合っていない状況なので、自分が苦手な部分をこれでもか、と見せつけられた気がしたのかもしれない。
あと、真木よう子のセリフで
「だからあの時言ったじゃない」とか
「今さら父親ヅラしないでよ。なんでもっとはやく・・・」みたいな言葉は
つい私も言いがちで、言われた時の切なさとか残酷さを疑似体験した感じがなんとも重苦しかった。
主人公のダメダメっぷりには本当に呆れてしまうのだけれど、それでも映画の終わることにはなんとなく憎めない感じになっていたのは、情なのかな。
私には、あのアパートのドアを開けた時の池松くんのいたずらっぽい笑顔が、とびっきりの清涼剤でした。
あとハナレグミの主題歌、最高です。
鑑賞後、こんな風にいろんなことを考えさせる映画ということは、それだけで良い映画なのだと思います。
観てよかった。
みんなは観た後どんな風に感じたのかな。
住むから都
転勤族の妻である私。
よく「どこがいちばん住みやすかったですか?」と聞かれるのですが、うーん、なんとも答えに窮してしまいます。
というのも、いま住んでいる街がいちばん住みやすいから。
(商店街アーケード。とても活気があります。)
今回の転勤先、大阪に関しては夫婦ともにまったく土地勘がなかったので、最初はとにかく夫の勤務地に通いやすいところ、という基準で探していたのですが。
そこに私の就職先が決まったため(顛末はこちら↓)
今度は夫と私がそれぞれの勤務地に通いやすい街ということで、いまの街に決定。
事前にインターネットである程度情報を得られる時代ですが、やはり実際に足を運んで現地の印象(昼と夜)を体感できたことがいちばんの決め手になりました。
新居は正直、以前の部屋よりだいぶ狭くなりましたが(家賃は上がったのに;;)、電車が2路線使えることや周囲においしいお店も多く、商業施設も充実していて本当に住み心地が良い。
(あんなのや)
(そんなのや)
(こんなのも)
どうせ縁あって住むんだったら、とことん満喫しないともったいない。
まだまだ未開拓エリアも多いので、すこしずつ新規開拓する楽しみもたっぷり。
私が住んでるんだから楽しい街に違いない。
みんな遊びにおいでー!!
私はここにいるよーという叫び
先週末は私が3月まで勤務していた
NPO法人アカツキの総会イベントが福岡で開催されておりました。
実は昨年、一昨年と総会イベントを仕切らせていただいた身としては
今年の総会イベントがどのような内容なのか、非常に気になったのですが
残念ながら参加できず。
で、何かメッセージを伝えたいと思い、取った手段が「電報」でした。
(今回は電報サービスVERY CARDさんを利用)
電報、けっこう便利です。
最近は台紙もかわいいし、いろんなプレゼントも一緒に送ることができたり。
今回は亜土ちゃんのコチラ!
ネットで注文できるし、文章も自由に打ち込むことができるし、配達時間も指定できるし至れりつくせり。
参加できない無念さと総会イベントの盛会の思いを込めたのでした。
アカツキのみんなは電報に驚いてくれたみたいでよかった。
こういうサプライズけっこう好きだから。
でも、ふと思った。
これって「私はここにいるよー」「忘れないで―」という私の叫びじゃないかって。
つい最近まで所属していたところで、
しかもここ2年ほど取り仕切ってたイベントで、
今回、私の存在がまったく感じられない場になることが許せなかったのかもしれない。
おそるべし自己顕示欲。
でも自分のこういうどす黒い部分を、こんな風なサプライズで昇華できるんだったら、まぁいっか。
やはり、ひとつの行動でも、光の当て方によって見え方が全然違うということは常に意識していたいな。
「見立て」を楽しむ
最近、こんな本を貸してもらいました。
貸してくれた篠田さんは読後の感想をブログにつづっています。
ものすごいおもしろくてあっという間に読み終わりました。
そして、篠田さんがこの本をおもしろいと思う理由も分かる気がしました。
(かなり著者と篠田さんのここまでの経験値が似ているなーと私的には分析)
ほーほーと感心しながら読んだのですが、何が一番印象に残ってるかって「フジテレビの視聴率が低迷している理由」!!
まさに私がそうしてたから、めちゃくちゃ納得でした。(篠田さんは違ったみたい、笑)
ただ、「仮説」という言葉がちょっと私にはかたすぎてなじめなくて。
そもそも、普段から感覚だけで生きてるような人間だしね。。。
そんな私には「見立て」という単語の方がしっくりきます。
この「見立て」という単語はプチ鹿島さんがよく使うんだけど。
私たちの日常に「見立て」というスパイスを加えるだけで、今まで以上に物事が楽しめるような気がしてます。
そんなプチ鹿島さんのメルマガで、絶賛話題沸騰中なのが森達也監督の映画『FAKE』。
これまた楽しみだよー
大阪では七藝で6/11公開!(監督の舞台挨拶もあるみたい)
最近は、白黒どっち?的な二極論が多くないですか。
しかも、白だった人が、後日黒なんて言おうものならヒナンゴウゴウだったり。
でも、私たちは限りなく黒に近いグレーとか、全然見当がつかないピンクとか
いろんな感情を持っているし、それは日々刻々と変わると思うのです。
変化するからこそおもしろいし、楽しい。
自分とあの人の考えはぜんぜん違うけど、そういう考えもあるのだなー、なんでそんな風に考えたのかな、話聴いてみたい、とか思うよね。
そんな、絶対に必要ではないけれど、あるとめっちゃ楽しいもの、のひとつが
「見立て」なのかな、と。
そんなこと考えてたら、今日の子どもの音読が「見立てる」というタイトルでした。
うっひょー☆
つらさを分かちあい、よろこびを何倍にもしてくれる仲間
今日は梅田に。
いつ行っても人が多い。
まぁ大阪の繁華街だから当たり前なんだけど、なんだか福岡がかわいく思えてきます。
梅田に出たのは、友人たちとのランチのため。
Kamp(関西にもマドレボニータを!プロジェクト)の再始動決起集会とでもいいましょうか。兵庫、奈良、大阪から集合したのです。
※マドレボニータとは、1998年より、出産「後」に特化した、女性の心と体のヘルスケアプログラムの研究・開発・普及を行うNPO法人です。(公式HPより)
Kampメンバーと話していて思ったのは、関西の母たちにも当然産後ケアは必要だし、マドレボニータの教室やプログラムを一日でも早く関西に根付かせたい、ということ。
実現に向けて、まずは自分たちができることをひとつずつやっていこう、と想いを新たにしました。
自分の中であんなことやこんなことを考えていても限界があるのだけど、3人4人と集まりそれぞれの考えを出し合うことで、みんなのアイデアがまるで掛け算のようにどんどん広がって行く、というのを今日も実感した。
しかもそれをご飯食べながらだったり、赤ちゃん抱っこしたりしながら。
これってほんとすごいことだ。
すこしキツイ現状を共有する場面もあったのだけど、それも、自分ひとりだったら抱え込んでしまってとても耐えきれないようなことも、みんなと話すことで、ふっと心が軽くなった。
現状は何一つ変わってないのに。
今日もたくさん笑った。
その笑いのパワーが、水面に波紋が広がるように、少しずつでも確実に積み重ねていかないとね。
まずは夏。
Kampのみんなの思いが形になるように力をつくそう。
いまは昨夜の満月のように満ち足りた気持ち。
私の雇用主は私であるという意識とそれを受け入れる周囲の存在
アニメが好きでよく見てるんですけど、声優さんて本当にすごい職業だな、と。
(まー買っちゃいますよね☆)
おそ松さんのWEBラジオ「シェーWAVE」のパーソナリティ鈴村健一さんとか最高過ぎてリスペクトしまくりです。
さて、大阪高槻に引っ越して来て約2か月。
「もう慣れましたか?」と聞かれることが多いのですが、質問の意味がすぐに飲みこめないほど、新生活を満喫しています。これなんでかなーと思ったのですが、やはり引っ越して早々にファザーリング・ジャパン関西(FJK)で働き始めることで「日常」のペースをつかめたからではないかなと。
勤務先の事業年度は4月-3月。すぐに決算業務でバタバタしていたのですが、どんな研修を受けるよりも昨年度の数字と向き合うことで、自分が働いているところはどんな法人なのかを理解できた気がします。
4月から基本週5日(月~金)10時~16時勤務という条件で働き始めました。今までは在宅勤務も多かったので平日毎日出勤・退勤するという流れが非常に新鮮でもあり。
職員は全員子育て中なので、園・学校行事などがあればそちらを優先して仕事を調整可能。休みます、早退します、午後から出勤します、という言葉を言いやすい職場環境には本当に感謝感謝なのです。
(4月は参観、懇談、家庭訪問、役員行事など盛りだくさんですしね)
そんな私に、4月下旬、友人からある話が飛び込んできました。
思わぬ展開で人手が足りなくなってしまった。業務を手伝ってもらえないだろうか、という内容。とてもお世話になっている人からのお話だったので、私はすぐにできる限りのお手伝いしたいと考えました。
ただ、週末の休みは確保したい。
となると平日のどこかをそれに割かなくてはいけない。
私はその時独断で、MAX週2日程度ならばお手伝いできるのではないか、とお返事しました。
その後、FJKの事務局にも事情を説明。私の思いを最大限に尊重してくれた上で、今回の業務ヘルプをする上での冷静なアドバイスなどもいただいたりして。
字面にすると、ほんと私のやってることは感覚的というか感情的だなーと思うのですが、FJKのみんながそのことを受け入れてくれたのがほんとうれしかった。
私は産後、職場に恵まれてきましたが、ここ数年で実感しているのは「働き方は自分で選べる」ということ。
違う角度からだと「働き方を選べる環境をつくっている」と言えるかもしれない。
働き方を選ぶ、ということは、自分はどんな働き方をしたいのか考えなくてはいけないし、もっと言うと、どんな生き方をしたいのかをも見つめないといけない。
環境をつくる、ということは、自分の考えを周囲の人たちに話して、理解してもらって、さらには応援してもらわないといけない。
私が私自身を雇用していて、働き方も選ぶし労働条件なども自分で決める。
それらはけっこう労力かかるけど、めちゃくちゃ楽しい。
そんな感じです。