小学校のころは家と学校しかなかった ~映画『聲の形』を観て~
先日ムスメと鑑賞した映画。
予備知識ほとんどなく行ったんですが(京都アニメーションということくらい)
終始グラグラされて打ち震えてダラダラ涙流してました。
・ちょっかい出してるつもりが、イタイ大ごとになること
・資産価値分からずおもちゃにして、壊して知った時の衝撃
・子どものしりぬぐいを親がすること。その親の姿をみたうしろめたさ。
・父親の不在という意味
・友だちのウザさとうれしさの紙一重
・小学校の友だち / 高校の友だち
・人生リセットするタイミング
・周囲は思ってるほど自分のことを気にしてない。と分かった瞬間の視野の広がり
・周囲にはどう見られてもいいと思えるかどうか。
・自分には自分がどう見えるか
・大切な人には自分がどうみえるか
こんな想いが観た後にわき上がってきました。
あ、私の小学校の頃の夢は「学校の先生」だったんですが
今思えば、それくらいしか職業を知らなかったなーと。
(ちなみに実家はクリーニング店)
あのころは居場所が、家と学校だけだったことを思い出し。
家でイヤなことがあれば、学校で吐き出すしかないし
学校でイヤなことがあれば、家で吐き出すしかないような生活。
塾も行ってなかったし。
ド田舎だから近所の目は常に張り巡らされていて。
あーーーほんと狭い世界に生きていたな、と今は思います。
だからテレビで映画『フットルース』(吹替え、しかも近藤マッチの!)を観て
こんな世界があるんだ!って知った時の衝撃とかすごかったし
(この世界とは、アメリカとかハリウッドとか英語とかだった気が)
そこから一気に洋画にハマって雑誌「スクリーン」とか「ロードショー」とか
買い始めたんだった。
同じ趣味の人と文通とかしてうれしかったもんな。
ハリウッドスターにファンレターとか書いて返事もらうのも。
などと、インターネットなどなかった自分の子どものころを思い出したのですが
インターネットがあるからって今の子どもの世界が自動的に広がるわけじゃない。
最終的に広い視野が持てるかは本人次第なんだけど
その広がるきっかけづくりを私ができるならば
それは手を尽くしていきたいと思ったのでした。
そうそう、ムスメは『君の名は。』より『聲の形』の方が好きだって。
私もはやく『君の名は。』観ようっと。