みぎわ ~meet!give!wonderful!~

なかったことにしないように。自分の中にわき上がる想いを言葉にして表現する場です。転勤族妻。ひとり娘子育て中。おせっかいダイスキ。

『アウト・オブ・キリング』鑑賞ふりかえり

あの気づいてしまった時の表情。

“尊厳が失われたあとは、恐怖しかなかった”

“私は・・・罪をおかしたというのか?”

自分が被害者を演じること、だけでなく、

その演じた映像をみたことで、

より、自分が過去にしてきたことを俯瞰できたのではないか。

尊厳が失われる感覚、恐怖しかない感覚を

実際に体感することで彼の人生は豊かになったともいえるのでは?

影を知ったからこその光。苦悩を知ったからこその喜び。

ただそれを知ったからといって、

彼の過去の行いが変わるわけではなく。

被害者の家族たちが救われるわけでもない。

でも、この映画で歴史の一部分を知らなかった人に伝えることはできる(私のように)。

きっと歴史上の大きな罪って

何代も何代もかけて検証され消化されていくのかもしれない。

そのほうが二度と起こってはいけない、起こしてはいけないという重みも増すのか。

殺害する側にも大義名分はあったのだろう。

でなければ手を下す自分を正当化できない。

人によって正義は違う。

正義ってなんだ?

権力者にとって、自分に都合の良い考え方ってだけじゃないのか。

そして、それに流されてるだけ?

だとしても、自分の中の正義が変わることを恐れてはいけないのだと思う。

映画中、何度も「ジョシュア」(監督の名前)と呼び掛けるシーンがあった。

彼のあのトーンを聞く限り、

監督は撮影中、彼にたいして真摯に対峙していたのだろう。

その姿勢があったからこそ、あれだけのものすごい映画になりえたに違いない。